ABOUT久吉丸について

大浜町と久吉丸の歩み

「浜千軒」の栄華、玉名市大浜町

天然の内海である有明海、その中でも加藤清正によって治水されたされた菊池川の河口であった高瀬蔵に代表される高瀬の街並みは肥後米の積み出し港として栄えた。

しかし長年の土砂の堆積で深さが足りなくなり、積み出しの中心はさらに海に近い大浜町へと移って行った。

盛んな貿易を基盤に大いに栄えた大浜町。
かつては「浜千軒」と呼ばれ、何度かの大火に見舞われながらも栄華を極めた。

久吉丸も廻船問屋として、大浜町の庄屋を代々務め、江戸時代の間口税に沿って細間口の多い土地割の多い中、堂々と真四角の500坪の土地を保有し、一時は大浜地区の全土地に近い面積を保有し小作を行っていたほど栄えていました。

1950年代あたりまでには、映画館や美容室、銭湯などなど街としての機能を維持し続けていましたが、陸路での輸送の確立、産業地域の変化から人口が流出し続け、今では数件の商店が細々と営業する商店街を残すのみ。

久吉丸も、10年近く空家となり、買い手も付かず、取り壊しの運命にありました。

新たな街作りの一歩を目指す久吉丸の再生

「200年以上の【時】をいきなり買ったりはできない。」

失われる久吉丸は、物質的損失だけでなく、取り返しのつかない【時】の喪失に他なりません。
その【時】には、技術、歴史、文化が含まれています。

出来るだけその姿を保ちながら、新しい息吹を吹き込む事で、大浜町コミュニティの場、菊池川流域の縦の線、有明海に望む横の線を結ぶ広域地域の活性化の一端を担う場所となるべく再構築しました。

久吉丸のこだわり

再建にはDIYの手法を併用し、家族と地元の工務店さんをはじめとした各業者さんと現場を共にしながら、当時の姿をできるだけ損なわない形を取りました。
内壁の漆喰は、一部崩れた土壁の塗り直しを含めて自分達の手で。
調湿、脱臭に優れた漆喰は、時を経るごとに硬質化し100年は保つと言われる天然の優良壁材、柱は当時のまま、黒色は約200年の煮炊きの煤が染み付いた天然の塗料です。
一部色が薄いところは、亜麻仁油と煤を混ぜて色合わせして塗り直しをしました。

放置されていた見事な欄間は道路側の目隠しに、店内のテーブル類は、時代合わせを考えてジモティーで県内や、福岡から集めたものです。
こんな小さなところでも、失われそうな時を拾い上げています。

提供している飲食類も細やかなこだわりを込めています。
詳しくは下記からご覧ください。

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